2021-06-03 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第16号
この建物の建築史的な価値や歴史的意義について文化庁としてどういう認識をされているのか、それから、これまで県にどのような助言をして、今後広島県がどう取り組むのか、お答えください。
この建物の建築史的な価値や歴史的意義について文化庁としてどういう認識をされているのか、それから、これまで県にどのような助言をして、今後広島県がどう取り組むのか、お答えください。
○政府参考人(榎本剛君) 旧広島陸軍被服支廠の建物は、記録によれば大正二年の建築であり、現存最古級のコンクリート造りの建物として一定の建築史的な価値があると考えられます。また、爆風により鉄の扉がねじ曲がるなど被爆の実相を伝えるとともに、原爆により被爆した際に被災者の救済拠点となった施設でもあり、これらを踏まえた歴史的な意義もあるのではないかと考えられます。
この旧広島陸軍被服支廠は、かつて軍服や軍靴などを生産、保管した施設であり、現存する倉庫四棟の歴史的意義を挙げれば、まず、記録によれば、建築が大正二年の現存最古級のコンクリート造りの建物として一定の建築史的な価値があると考えられます。
建築史的な価値や歴史的な意義も整理をいただきまして、重要文化財へ向けて専門的な助言を行っていただけるということでありますけれども、残りの一棟は財務省の所有であります。 広島県も、それから文化庁も踏み込んだ御答弁をいただいているわけでありますけれども、国においても必要な整備を行い保存していくべきかと考えますが、財務省の見解もお伺いをしたいと思います。 〔理事古賀友一郎君退席、委員長着席〕
諸外国の国立公文書館に負けない、いや、面積などではもう既に負けていますけれども、中身では負けない、日本建築史のレガシーとなるような質の高い建物であってほしいと考えております。 麻生副総理は文化芸術について造詣が深くていらっしゃいますし、公文書館についても御見識が高くていらっしゃいます。
このような重要な建物、こういうものの大規模な修理活動を行うに当たりましては、文化財所有者が、文化財の建造物の修理とか、それから建築史、美術史、建築構造等を専門とする学識経験者等による修理検討委員会というのを設置するのが通例でございます。そして、その修理方針を決定するために助言を得て、修理を進めていくということになります。
そして、片やこの建物に価値があると署名した八万五千人の人たち、それから先ほど紹介した日本建築学会、そして建築史の内田教授等々との論争にたえ得る判断であるかどうか、慎重に判断してから、まだあるわけですから、私は解体はやめるべきだと思います。 これで質問を終わります。
それから、増改築の部分でありますが、建築史の専門家である文化女子大学内田教授は、それらの増改築は昭和八年からスタートした家族生活の痕跡であって、これらこそ戦前戦後の我が国の都市における中小規模独立住宅の生活の変遷を具体的に知り得る重要な住宅の遺構と言えるものであり、登録文化財としての価値を十分有していると考えられます、このように言っておるわけですね。そして、百聞は一見にしかずです。
長くなりますが、もう少し申し上げさせていただきますと、宮澤元総理の郷里であられます広島県出身の、まさにこの鞆の浦にもゆかりのある、東大の名誉教授の、建築史の御専攻であられます太田博太郎さん、この方も、大変心配であることをるる述べておられますね。これは歴史的港湾としてぜひ保存しなければならないものだというふうに思うと。
それが、今おっしゃったように目の子でという話ですけれども、建築史学会等々と文化庁と協力なさって、今の次長の話では二万五千件、そして緊急を要するものというのは早く処置をしなければあるいは整理されてしまう、地区の開発とかあるいは所有者にお金がないとか、修理が行き届かないとかいろんな理由はあるでしょう。それが今の次長の話で目の子で二万五千件の約一割、二千五百件というお話でございました。
○政府委員(小野元之君) 私どもが登録の候補として挙げておりますもの、それは文化庁の調査もございますし、建築学会あるいは建築史学会等の調査もあるわけでございますけれども、一応登録の対象になり得るものとしては約二万五千件が全国にあるというふうに理解をしております。
今回は建造物のみですけれども、例えば建築史学会等の調査で、今全国で届け出しなげればならないなと思っている物件は何件ありますか。
年限が足りない、建築史的な意味もない、文化財とも言えない。今度は記念物という観念を取り入れて、来年の春には恐らくあれが文化財指定になる、そうすれば国際的登録ができる。こういう流れというものが、原爆ドームというものが大きな関心の中で運ばれている。
○国務大臣(石原慎太郎君) 先日も、前東大の教授で今武蔵学園学園長をしていらっしゃるんでしょうか、建築史の太田博太郎先生においでいただきまして、建築歴史学の観点から見ても、非常に建築美学として高い評価のできる建物なので、ぜひ残してほしいという御依頼がございました。
いま先生御指摘のような、在来工法を 含めた建築方法についていろいろ教育、研究が十分なされてないではないかという点でございますが、各大学の建築系の学科の状況を見てみますと、たとえば建築構造というような講座、あるいは建築計画、それから建築設計とかまた建築史等で在来工法の関係の教育、研究がなされておりまして、学生に対しても教育が行われていると、こういうふうに承っておるところでございます。
そこにもちろん日本からも文化庁関係者や建築史家などが出席するということであったわけですが、この種の国際会議に参りますと、いつも決まって外国から指摘される問題があるようであります。
そういう観点から、私どもとすれば、日本の建築史の主体をなします在来工法の住宅というものを国民全体の方々につくっていただくような努力をすべきであろうという観点から、林野庁の立場としてのPRなり技術開発については、今後とも積極的に進めてまいりたいというふうに考えております。
私に課された宿題が大変たくさんありますが、まず最初に、建築の歴史を専攻しておる立場から、東京駅そのものの建築史的な価値、それに対する私の考え方を最初に申し上げまして、次に、曽祢先生からも御質問がありました明治以降の日本の近代建築の保存に対する一般的な考え方を申し述べたいと思います。 東京駅につきましては、私の研究室にあります資料によりますと、明治二十九年にもう敷地をあそこに決定いたしました。
いわゆる建築実習、建築設計製図、建築計画、建築構造、建築構造設計、建築施工、建築法規、建築史だけでしょう。これが、あなた、水理、土質、土木計画、土木設計、土木施工なんて、そんなものやれっこありゃしない。そんなものを学校で勉強してきちゃいないんですよ。特に、建築工学科出で、大学でこんな科目を勉強するかというと、こんなものを担任できるようなものは持っちゃいないわけでしょう。
○福原政府委員 丸ノ内の三菱旧一号館につきましては、これはあの地帯に三菱が、いわゆる一丁ロンドンということで赤れんがの建物を建ち並べまして、わが国としては最初の近代的な都市計画があそこで実施されたという、非常に由緒のあるところでございますし、建築史的に申しましても、事務所建築でございますけれども、本格的洋風建築の第一号の作品であったわけでございます。
○山中(吾)委員 現在平城宮の埋蔵文化財を中心として、いろいろの企業が企業的立場で整地をするために、民族的文化が破壊されようとしており、考古学者、歴史学者並びに建築史を専門としておる学者あるいは地元の奈良県知事その他関係の民族的文化遺跡を持っておる執行機関というものが非常に心配をしておる。ある意味においては、日本の埋蔵文化界の危機という言葉で心配をしておるのが現状であります。
一級建築士に対してはこの外構造力学、煖冷房設備、建築史、都市計画等に関する常識的な事項が加わることも予想せられます。 第十三條は、試験は少くとも一年に一回は行うこととして、免許の機会を長い間塞ぐことのないようにした規定でございます。
一級建築士に対しては、このほか構造力学、暖冷房設備、建築史、都市計画等に関する常識的な事項が加わることも予想されます。 第十二條は、試験は少くとも一年に一回以上は行うこととし、免許の機会を長い間ふさぐことのないようにした規定でございます。